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QUEcrepe
眼鏡橋
旧サイトより転載
呉の「眼鏡橋」ってご存知ですか?
呉鎮守府と一般市民とを結んだこの橋。
これが近代呉海軍への架け橋であった。
現在では 人知れず 地下に眠れる 素晴らしい橋・・・「眼鏡橋」をご紹介します。
情報提供:亀迫重信
このアーチ型の写真(眼鏡橋)は
大正初期の観光葉書で姿を知り得る唯一の物です。
明治21年(1888年)に造られました。
建築学上はアーチが1つであっても眼鏡橋と分類されます。
昔は帝国海軍の根拠地「呉」の陸の玄関口であり
帝国海軍と一般市民との交差点であった「眼鏡橋」
この橋を渡り海軍第一門を通り抜けると
海軍鎮守府と軍法会議、海兵団、造船部、海軍病院(現国立病院)などの
施設が並ぶ軍事中枢地区でありました。
北部にある灰ヶ峰側は、それを支える商業地、市街地、住宅地に分かれていた。
そのため海軍や海軍工廠への納入業者、海軍御用商人と称される者たちが全国、海外からも参入。
会社、事務所として眼鏡橋付近に軒を連ね、その数は「千社を超えた」とも言われています。
アニメ映画「この世界の片隅に」に、在りし日の「眼鏡橋」付近が登場しています。
ここはまさに歴史文化、軍需産業の発展の原点であり、基点やランドマークとも言えます。
さて、今までは多くの方が、JR呉線の高架線が眼鏡橋だと認識されていますが
それは大いなる誤認なのです。
実は本当の眼鏡橋はその地下に在り、現在では見ることができないのです。
めがね橋についてもっと詳しく知ろう!
めがねばし
名 称
眼鏡橋
場 所
本通1丁目、中通1丁目、幸町の境界
呉線高架橋の地下
竣工
明治21年(1888年)3月
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