なぜ? いつ頃?

 

 

 

 眼鏡橋は どのようにして 地下に埋もれたのでしょうか?

 眼鏡橋の側にある海軍下士官兵集会所(現青山クラブ)は3代目で昭和11年頃 兵員の増大で拡張増築が繰り返され、徐々に眼鏡橋の 

 


 また 市街地側(北側)も時を前後して、鉄道三呉線(現呉線)の敷設で、今のJR高架橋ができた為、現JR高架橋付近は旧眼鏡橋が、そのまま段差となり その名残が約60cmのスロープとして、残存しているのです。

 

 

明治初期に構築され僅か40年たらずで(昭和7・8年頃)に全容は見えなくなり地中に眠ってしまった。

その後は地名だけを残し 橋そのものの存在は忘れられているのです。

 


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